薬剤師夫婦/夫です。
第110回 薬剤師国家試験が先月あった。
私も元受験生として、その辛さや難しさは痛いほどわかる。
これから111回を受けようとする方へ一つだけアドバイスがあるとすれば、『絶対に1回で合格する事』
6年間大学に行って、国家資格取得見込みで就職内定をもらっていたとしたら、それ無くして就職は原則ありえない。
何より肩身の狭い思いをするのは必至。
落ちれば落ちるほど合格が難しくなる事はデータからも明らか。
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身近に国家試験を、複数回受けている方がいる。
一度、一年間の約束で、考えうる全てのアドバイスをして介入した。
結果は惜しくも不合格となった。
一つ言える事は、アドバイスへのアレンジはアドバイザーへの裏切りであり、アドバイザーは再現性が保証できなくなり結果にも責任が取れない。(キングコング西野さん談)
以降は国試に関しての介入はしていない。
その過程で、大切なひとを困らせてしまってからもう介入しないと決めている。
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今後の希望としては、自立。
受験資格を得ていても国家資格を得られない方は一定数存在する。
(卒業させた大学の責任はこの際置いておく。)
であるならば、敢えて厳しい言葉を選択すると、心身健康であるなら『生産性のある生活が必要』だと言う事。
生産性は、人の為になることと言い換えられると思う。
お金の問題ではない。
(むしろお金の問題で国家資格が必要なら必死になって必ず取るだろう。)
『努力した。』『勉強した。』『時間をかけた。』
いずれもそれで評価されるのは学生まで。
社会に出れば結果が全て。(愚問)
知識をつけるのは当然(自己研鑽)であり、その知識を使って生産性のある結果を出して初めて評価される。(社会人なら給料として反映される。)
勉強自体は人の役には立たない。
如何に活かすか。
国家資格が無くても、心身ともに健康なら生産性のある事はできる。
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話は逸れるが専業主婦(主夫)は立派な生産性のある仕事である。
生活費を稼ぐ人のメンテを行う事や子供の世話をすることによる未来への投資は何事にも変え難い貴重な社会資源へ貢献である。
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勉強だけに時間をつかって国家資格が取れず、生産性のない時間を過ごし続けて人生は豊かになるだろうか。
ある意味それは依存であり、心身ともに健康の前提から外れる。
今できる事(勉強以外)に全力で取り組む事の方が、結果が伴う可能性の低い勉強をして過ごすよりよっぽど価値のある(生産性のある)時間の使い方だと思う。
今日の仕事の帰り道はそんな事をぼーっと考えて生産性がなかったのでここで発散しておく。