薬剤師夫婦の日常

子供のことや薬の話

誕生と終焉

 

薬剤師夫婦/夫です。


私の勤める病院は慢性期病院です。


長期療養が必要で、在宅復帰困難な方が多く入院しています。


見取りを目的としているわけではありませんが、地域の方々最期を迎える場所として相応しく望まれる場所となれるよう日々精進しています。


本人や家族が望む形での最期を迎えられるようお手伝いする事が役目であると考えていますが、同じ病院で働く個々の考え方やアプローチが少しずつ異なることも事実です。


入院する際、何かしら疾患を抱えて治療を目的として受診されますが、『延命の為の積極的な治療』を望むのかをまず最初に確認する事になります。


人工呼吸器をつなげば延命にはなりますが、人間らしい事はできません。


一度つなぐと人工呼吸器を止めることはできません。


心臓が止まって心臓マッサージをすれば、動き出す事もありますが、高齢の女性は肋骨が折れる事もしばしばあります。


これらは穏やかに最期を迎えることとは正反対なのかもしれません。


また、例えば90歳を超えてからがんが発覚する事もあります。


慢性期病院に入院中、がんが発覚したとき、積極的に治療を望むかは本人や家族の意向によりますが、多くの場合は治療はせず穏やかに最期を過ごすことを望まれます。


がん自体の増殖も高齢であればあるほど緩やかであること、抗がん剤治療を開始したところで副作用や体力消耗によって命が短くなる可能性もある為です。


死生観に関わる為、一概に言えませんが、平均寿命を過ぎてから、疾患を治療し続けて1分1秒でも長く命を繋いで苦しい思いをしながら最期を迎えるのか、苦痛を和らげた状態で大切な人と穏やかな時間を過ごしながら最期を迎えるのか、選べるなら後者が多いのではないかと考えています。


主治医との治療方針の決定はそこに直結するものであり、医師の考え方やアプローチは重要です。


極端な話、『延命の為に積極的治療を推奨する医師』と『延命の為に積極的治療を推奨しない医師』との治療方針の決定は、結果に明確な違いがでてきます。


勿論、『延命の為の積極的治療を推奨しない医師』と言っても必要な治療は行います。


ここで述べているのは、90歳を超えてがんの治療を積極的に行うのかという話です。


高齢社会となり、自分や周りの大切な人達の最期を考える機会が増えました。


命の誕生が素晴らしいのと同様、命の終焉も素晴らしくて良いのではないかと考えています。

 

取り留めのない話をしてしまいました。


少し考えをまとめてみようとしただけです。