薬剤師夫婦の日常

子供のことや薬の話

【昔話】高校〜大学〜新卒のモチベーション

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

今日は私の昔話をしようと思います。

 

私は小学校の頃から大半の事が『人より少しでき』て、目立たず、『偏差値52〜55』のごく一般的な子供でした。

 

公立中学一年生の頃、成績としては学年で上の方ではありましたが、それも幼少期の経験による貯金があった為で、自分で頑張って成績を上げたわけではありませんでした。

 

頑張っていたのは部活のバスケットボールぐらいです。

 

案の定、成績は二年三年に上がるにつれて落ちていき、いざ受験勉強となっても身が入らない。と言うより頑張り方がわからない状態でした。(副教科優先などの内申点と言う制度に納得がいってないことに対する反発もあったりなかったり)

 

それもそのはずで、それまでの人生で頑張って勉強をしたことがなく、自分のポテンシャルだけ(自慢にならない)でテストを受けていたからです。

 

結果的に高校は偏差値50の男子校に入学しました。

 

親に将来の進路の可能性を残してもらった形でした。

 

ここでも頑張ったのは部活のバスケットボールです。

 

相変わらず勉強の頑張り方がわかりません。

 

大学入試になっても『そのうち何かのきっかけでモチベーションが勉強に向いて成績も上がるだろう』と他力本願で今考えても非常に情けない考え方をしていました。

 

勿論期待していた『何かのきっかけ』などはなく、そしてモチベーションは勉強に向かず、行きたい大学にも入れず(厳密には勉強に意味を見出せず行きたい大学もなかった)、浪人させてもらうことになりました。

 

この大学浪人で私の精神はそれまでになく追い詰められました。

 

人生でここまで自己肯定感を失ったことはなく、人の目が気になって外出時は常にマスク(10年以上前なので当時はかなり不自然)で俯き加減で猫背になり、誰とも関わりたくない話したくない状態になりました。

 

勉強しかやることがない為、ある程度はやりましたが思うように成績は上がりませんでした。

 

最終的に希望であった医療系の薬学部に入学しましたが、私立だったので親には負担をかけてしまって罪悪感も残りました。

 

薬学部は6年間あり、卒業すると国家試験の受験資格が得られます。

 

私の勉強に対する向き合い方は薬学部で流石に成長しました。

 

『これ以上親に負担はかけられない』『留年となれば放校の他ない』という覚悟がモチベーションとなり勉強に取り組みました。

 

幸いにも勉強の内容は噛み続けると味が出てくるような感覚で、面白さを日々感じて学ぶことができていました。

 

モチベーションとしては部活のバスケットボールと同じであることに後々気付きました。

 

バスケットは『面白い』『もっと上手くなりたい』『勝ちたい』『仲間と喜びを共有したい』ただそれだけで特別なきっかけはなく続けていました。

 

薬学部は無事6年で卒業しましたが、国試前、嫌な予感はしていました。

 

これまでの人生で頑張って勉強をしたのは薬学部に入って初めてでした。

 

私の能力をフル動員して勉強に取り組みましたが、成績が想定よりいつも低くく、『能力の限界』を垣間見たようでした。

 

嫌な予感は的中し、過去最も難しい薬剤師国家試験と重なったこともあり、不合格となり国試浪人することになりました。

 

ただ、これ以上親に迷惑はかけられないので、内定をもらっていた会社に入社して翌年の国試を働きながら再受験することにしました。

 

この一年は人生で最も追い詰められた年でした。

 

薬剤師として内定をもらっていた為、入社は辛うじて許されましたが、薬剤師としては勿論働くことができず、『非薬剤師』として勤めることになります。

 

色々な診療科を見て勉強できた方が国試対策としても良いと配慮下さったので、グループ内のあらゆる薬局を転々として薬局での仕事を覚えつつ事務、雑務なんでもしました。

 

「次こそは通って薬剤師になって戻ってきてね」

と声をかけてくれる従業員もいれば、「一回落ちたらもう無理だよ」と言われることもありました。

 

私を信用して私に投資してくれた会社幹部の方や支えてくれた身内を裏切るような結果は絶対に出せないという気持ちが、受験が近づくにつれて日に日に増していきました。

 

入社当初は受験日まで働くつもりでしたが直属の上司の勧めもあり、数ヶ月休職して試験に臨むことになりました。

 

この頃からは『不安で寝るのが怖い』日々でした。

 

『絶対に失敗できない試験』

 

バスケットで言うと

 

『一点差ビハインド残り2秒でのフリースロー』

 

と言う精神状態が半年近く続きました。

 

私は無意識に『自分の能力に対する過信』があったのではないかと気持ちを改め、『自分は何もわかってない』『予備校に言われたことを全て信じてやってみる』『習ったことをスポンジのように吸収する』ことに徹しました。

 

お陰様で翌年の国家試験には無事合格でき、入社した会社にそのまま復帰することができました。(試験の翌日から仕事だったのは流石にメンタルが追いつかなかった記憶があります。)

 

今はお世話になった会社も卒業し、妻の実家近くで生活していますが、これまで関わってくれた全ての人のおかげで今の私があります。

 

日々感謝の気持ちを忘れず、目の前のことに精一杯取り組みます。

 

以上、学生時代の考察でした。