薬剤師夫婦の日常

子供のことや薬の話

レケンビと倫理の狭間で:ある医師のひと言が問いかけたもの

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

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新薬の登場は、医療現場に希望と緊張を同時にもたらす。

 


アルツハイマー型認知症に対する新たな治療薬「レケンビ®️(レカネマブ)」が登場したとき、多くの医師、介護者、患者家族がその可能性に注目した。「疾患修飾薬」として認知症の進行を抑制し得るというその作用機序は、従来の対症療法とは一線を画すものであった。製薬メーカーによる丁寧な説明が続く中、ある医師がぽつりと口にした言葉が、場の空気を一変させた。

 


「製薬メーカーの職員は、自分の販売する商品で人を治療して治すことに貢献したと同時に、副作用で苦しむ人を作り出した事に対する矛盾を考え続けてもがき苦しんでください。」

 


過激とも捉えられかねないこの言葉には、医療に携わる者としての覚悟と、薬に対する根源的な問いかけが込められていた。

 


製薬業界の現場では、革新的な薬剤を生み出すために数千億円を投じ、何年もの歳月をかけて研究・開発が進められる。そこには希望がある。一人でも多くの命を救いたい、QOLを改善したいという強い思いがある。一方で、新薬には常に「未知の副作用」のリスクが付きまとう。レカネマブでも例外ではなく、脳浮腫や出血など、特定のリスクが懸念されている。

 


つまり、患者にとっての「希望」である薬は、同時に「恐れ」でもある。これこそが、医療の持つ二面性であり、製薬企業にとって避けて通れない倫理的課題である。

 


この医師の言葉は、決して製薬メーカーを否定するものではなかった。むしろ、薬という「諸刃の剣」を扱う者として、自らの責任と矛盾を内省し続けることが、専門家としての矜持であると示したのだ。

 


医療が完璧でない以上、副作用や治療上の失敗が完全にゼロになることはない。だが、それを理由に立ち止まることはできない。人の命に関わる仕事だからこそ、「治療とは何か」「安全性とは何か」「誰のための薬か」を問い続ける姿勢が求められる。

 


製薬という営みは、ただの技術ではない。人の命を預かる倫理の実践である。だからこそ、矛盾と向き合いながらも前に進み続ける者たちの姿勢に、私たちは真の信頼を寄せるのだ。