薬剤師夫婦の日常

子供のことや薬の話

【生い立ち】幼少期から薬剤師になるまで(薬剤師 夫)

 


 

薬剤師 夫です。

 

今日は私の生い立ちをお話しします。

 

長くなるのでお暇なときに良ければ。

 

母親が鹿児島の出身で故郷出産した為、私は鹿児島生まれです。

 

顔はソース顔かしょうゆ顔かで言うとソース顔と言われることが多いです。(鹿児島の血?)

 

幼稚園は京都の幼稚園に通い、卒園と同時に父親の留学の為、2年間アメリカにいました。

 

帰国後はずっと大阪にいたので出身は大阪としてます。

 

今も英語のリスニングは人より多少はできますが、ほぼしゃべれません。。。(きれいに忘れました。)

 

アメリカにいた頃、現地の子に「算数ができて凄い!」と言われて、その気になっていました。

 

帰国後もその勘違いは続き、自分は数学ができる人間なんだと思い込んでいました。

 

球技が好きで、中学になると、バスケ部に入部しました。

 

バスケが楽しすぎて勉強はしませんでした。

 

内申点という制度に納得がいかず(今思えば一種の反抗期かも)、積極的(悪く言えば、自分の成績の為なら先生に媚びも売るし、周りにどう思われてもいいと考えるよう)な学生が評価されたり、先生の生徒に対する好みが露骨な副教科の内申点に重点が置かれることにも納得できず反抗ばかり(目立つ反抗はせず、地味にただ言うことを聞かないように)してました。

 

結果、希望の公立高校に入学できず、近所の私立高校に入学しました。

 

男子校で最初は抵抗がありましたが、意外と慣れると心地よく、社会人になってから付き合いのある友人の大半は高校の友人です。

 

高校2年のとき、文理のクラス分けがありました。

 

高校でも懲りずにバスケしかしていませんでしたが、数学は得意だという思い込みは持ち続けていたので理系に進みました。

 

理系ならと、親族に医療関係職が多いことから、自然と医療系を志すようになりました。

 

医師になりたいと思ったこともありましたが、自分がそれほどできた人間ではないのと、学力も足りないのは理解していたので、医療系=医歯薬という考えのもと、医歯薬で国公立(学費が安い)ならどこでもいいと考えていました。(目標が明確でなかったのは反省点)

 

初めての大学受験、私立高校の特権、指定校推薦でK大学に内定をもらいました。

 

進学は決まってましたが学部が工学部で、医療系以外の職につくイメージができなかったので辞退しました。

 

希望の大学に入学できなかったので浪人生活に突入しました。

 

予備校には中学で優秀だった同級生が軒並み浪人しており良い刺激をもらえました。

 

年末にあることをきっかけに予備校を休みがちになり、成績が伸びない焦りから、自分で自己管理して勉強できると勘違いしていました。(自己管理して勉強できる人はまず浪人してないと思います。)

 

結果2回目の大学受験は、現役の頃より成績は上がったものの希望の大学には通りませんでした。

 

2浪目に突入です。

 

予備校でのクラスが医学部特進クラス(医学部志望ではないが)に上がり、人気の講師の授業が受けられることに惹かれて同じ予備校に入りました。

 

中学の同級生は二浪ともなるとグッと数が減りましたが、同じクラスにラ・サール高校出身の気の合う仲間がいて勉強に集中する環境は整いました。

 

それでも成績は爆発的には伸びませんでした。

 

高校の友人との連絡も絶ち、様々な犠牲を払って望みましたが、三浪目に突入しました。(ラ・サールの友人は慶應義塾大学理工学部に合格)

 

環境を変えようと思い、二年間通った予備校はやめました。

 

自分に合う勉強法を優先し、インプットよりアウトプットを意識するようにしました。

 

結局、二浪目と三浪目で結果はそれほど変わりませんでしたが(模試での成績は上がりましたが)、三浪したことに後悔はありません。

 

孤独感や不安感、危機感、疎外感などに正面から向き合えたことは凄く自信になりました。

 

三浪してようやく、薬学部に入ると決意しました。

 

大学生活は想像の何倍も勉強漬けでした。

 

学内で厳しくご指導頂き、なんとか薬学部を6年で卒業(6年制)しましたが、国家試験の足きりにあい、国試浪人となりました。

 

浪人は4回目です。(これは想定外でした。いや、でもどこか足りないから不合格だっただけの話です。因みにこの足切り評価、翌年から無くなりました・・・)

 

薬剤師に就職活動はほぼありません。

 

薬剤師不足の為、薬局なら企業の方から入社を頼まれる立場です。(そのせいで勘違いする学生も多い。)

 

国試を控えたころ、大学の教授の知り合いの会社から内定をもらい、卒業と同時に入社しました。

 

国家試験不合格が決まっても入社は取り消されませんでした。(入社後は一般社員として働き、国試の半年前から休職し国試に専念する契約)

 

入社後の社会人生活ではつらい思いを沢山しました。

 

薬学部出身の非薬剤師がこれ程惨めなのかと。涙して帰る日もありました。(一世代二世代前までは国試に落ちるという事はほぼありませんでした。もちろん私のように国試に落ちて入社してくる人間は初めてで、受け入れる側も戸惑ったと思います。)

 

しかし有難いことに会社の大半の人達は高く評価期待してくれていて、とても優しく親身になってサポートしてくれました。

 

私自身も、必ず薬剤師になってその方々と一緒に仕事がしたいと思いましたし、なんとしてでも半年で合格すると固く誓いました。

 

休職してからは、朝7時に自習室(予備校のではなくレンタル自習室)に入り、朝の10分テストに5分遅れで入り(息が上がってる状態で早く冷静に解く練習の為)、17:00に予備校が終われば再びレンタル自習室に戻り23:00に帰る生活を毎日繰り返しました。

 

予備校で信頼できる友人が一人出来ました。(今では家族ぐるみの仲です。こどもは同級生。)

そういう友人が一人でもいてくれてラッキーです。

 

国試浪人の予備校生は、直前期になると本性が露になります。(大学受験とはまた違うプレッシャーが各々であります。)

 

モラルが欠如したり、恋愛に逃避したり、誰かを非難したり・・・今考えてもカオスです。

 

そんな中でも国試に合格できたのは休職中居候させてくれた彼女(現在の妻)のお陰です。

 

長い学生生活を送った私ですが、それを許してくれた親には本当に感謝ですし、周りの人のお陰で薬剤師になれたのでこれから沢山恩返ししていきたいと思っています。

 

こんな決して器用ではない私ですが、これからこの地域とこのブログを読んでくださる方々の為、正しい知識を出来るだけわかりやすく、楽しくお伝えしていきたいと思っています。

 

もし、勉強方法や浪人生活などでお悩みの方、学生さん、薬学生がこのブログを読んでくださっていれば、気楽に連絡ください。可能な範囲で、私か妻がご質問にお答えします。

 

長文失礼いたしました。

今後ともよろしくおねがいします。