薬剤師夫婦の日常

子供のことや薬の話

【訪問診療】同行が意味すること

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

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(奇跡的に割れなかったワイン)

 

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数年前、初めて訪問診療同行をさせてほしいと会社に申し出た。

 

会社にとって、薬剤師にとって必要だと思ったから。

 

勿論会社で前例がないと良い顔はされなかった。

 

『余計な事を言い出しやがって』

 

と思ったに違いない。

 

でも数年経った今となっては訪問診療同行が加算の対象となろうとしている。

 

つまり、薬剤師の役割としてその仕事に対して国からお墨付きがもらえる。

 

長かった。

 

評価されるのには時間がかかる。

 

幸い前職の会社はその点柔軟であった。

 

同行を始めて、処方箋枚数が増え、店舗の売り上げが上がったことに対して高く評価してくれた。

 

訪問診療に外来薬剤師が同行するのは実はハードルが高い。

 

調剤薬局は限られた人数で店舗を切り盛りしている。

 

一人の薬剤師が2時間店舗を空けること、しかもそれが薬局長となると各方面に調整が必要である。

 

まずヘルプの薬剤師はマストである。

 

その調整がうまくいき、同行ができるようになったとしても、いざ同行するにしても、訪問医だけでなく診察時に同行する看護師や在宅クリニックの受付との申し合わせ、訪問日には患者の状態等を事前に把握しなければならない。

 

そして同行の最中は緊張の連続である。

 

「この人何飲んでた?」

 

「下痢の要因は何か考えられる?」

 

「同効薬の〇〇の⬜︎⬜︎の違いは?」

 

「これ何の薬?」 

 

「〇〇(腎性貧血治療薬)はハーベー7だと何ミリ(規格)開始だっけ?」

 

etc.

 

どんな質問がいつ来るか常に準備が必要である。

 

…私より薬剤師歴の全然長い人から同行する事を伝えた時、

 

「それはあなた(薬剤師夫婦/夫)だからできるんですよ。」

 

と言われた。

 

そんなわけ無い。

 

薬剤師として外来で服薬指導してるならその知識を医師に伝えるだけ。

 

もしそれができないならそれは日頃から患者を誤魔化し、自分を誤魔化しているに他ならない。

 

訪問医に対して私もわからない時はわからない、調べますと伝える。

 

そんな強い信念を持って飛び込んだ。

 

幸運にも、訪問医は薬剤師をうまく使ってくれる素晴らしい先生で、無茶なことを聞くことはなかった。

 

それどころか、アウェーに飛び込んできた私に対して気を使って食事に誘ってくれたりもした。

 

在宅専門薬局の頃も同行させてほしいと会社に申し出たが却下された。

 

理由は時間の調整ができないから。

 

その時は同行以外にも学ぶことが多かったのでそれでよかった。

 

でもたまにCM(ケアマネジャー)などからの依頼で同行できた。

 

その時は報告書に書く内容に困らないし質も全く異なる。

 

訪問した際、事前情報になかった薬が引き出しから出てきて、

 

「これ何の薬?」(医師)

 

一度だけ触ったことがあった昔ながらの薬で泌尿器系の薬であった。

 

「泌尿器科で使われる薬で頻尿を改善します。今の内服薬との併用に問題はありません。」

 

咄嗟の答えができるかどうかが信頼関係構築に大きく影響する。

 

久々の緊張感であった事を覚えている。

 

患者宅の玄関を出ると岡山が一望できた。

 

10階建ての10階で、天気も良く非常に気持ちがよかった。

 

「僕の家あそこら辺かな?」

 

そんなプライベートの話をしてくれた所を見ると『よし!』と思った。

 

信頼を勝ち得られたのかなと思った。

 

訪問診療同行はそんなことの積み重ねである。

 

今も毎週同行している。

 

今だに毎回緊張する。

 

いつ何の質問が来るかわからないので常に緊張感を持っている。

 

そんな同行に対して、この改定で点数がついた事を理由に同行を打診しても訪問医は不信感を持つだろう。

 

そもそも薬剤師はそこに積極的に薬学的介入ができるか疑問である。(ツイート)

 

急に始めてできることではなく、知識があるからできるものでは無い。

 

信頼関係構築には時間がかかる。

 

今回の調剤報酬改定に思うところがあったので記事にしてみた。

【診療の側に】薬剤師の存在意義

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

医療の目的は疾患を治療すること。

 

チーム医療は疾患に対して様々アプローチする。

 

アプローチ方法の決定は司令塔の医師。

 

指示を受けたコメディカル(患者含む)が実践する。

 

薬剤師は治療の武器となる薬物の適正使用に努める。

 

薬に関わる他職種に助言を行い、患者には服薬指導を行う。

 

その中でも、処方権を持つ医師に対して、最新の情報にアップデートさせ、情報提供する事は治療の根幹に関わる重要な役目。


「この人類天疱瘡の原因になる薬物のんでるかな?」

「この場合の膀胱炎に何使えばいいと思う?」

「腎機能的にこの用量で問題ない?」

 

医師も何かしら疑問を抱えながら診療している。

 

『自分の治療のエビデンスは最新か。』

 

後からくる疑義照会より処方の瞬間(とき)に疑問を解決できれば効率が良い。

 

そこ(診察室)に薬剤師への加算をつけるべきではないかと個人的には思う。

 

臨床現場では理論的に正しくても実際は異なる場合が沢山ある。

 

医師は自身の判断で治療し、効果を直接評価している。

 

これはガイドラインやメタ解析(エビデンス)によるものとは限らない。

 

一方で薬剤師は(特に院外調剤薬局は)、間接的にしか評価できない。

 

(そもそも院外薬局の薬剤師のほとんどは保険調剤を担う保険薬剤師であり、杓子定規に業務を行うことを原則としている。)

 

医師と薬剤師の関係は、鬼滅の刃で言うところの鬼殺隊と刀鍛冶の関係に似ている。

 

使う者と作る者の関係。

 

ここで言う薬剤師と刀鍛冶の最大の違いは、薬剤師は薬を作ってはいない。

 

正しい使い方を知ってるだけ。

 

「人を切った事がないやつに正しい切り方が分かるわけない。」

 

理屈としては合っているが、薬の場合は「正しい切り方」(正しい使い方)は刻々と変化する。

 

よりエビデンスレベルの高い方が採用され、10年前に存在して治療に使われていた薬が存在しなくなっていたりもするし、ガイドライン改定前には記載内容とはかけ離れた治療が現場レベルで行われていたりもする。

 

情報の更新スピードが尋常じゃない。

 

当時は「これを飲めば治る」と言われ処方されていた薬が臨床的価値はないと判断された結果である。

 

今正しいとされている治療が10年後も正しいとされているとは限らないし、まれだとも言える。

 

従って常に最新のデータをもとにエビデンスレベルの高い治療、診療をしなければならない。

 

時に司令塔である医師の治療方針を批判しなければならないときもある。

 

薬物治療においてそれができるのは薬剤師だけである。

 

最近ハマってる漫画に呪術廻戦がある。

 

17巻 143話 虎杖を伏黒が諭す場面での伏黒の台詞。

 

「俺達は正義の味方(ヒーロー)じゃない。呪術師だ。俺達を本当の意味で裁ける人間はいない。だからこそ俺達は存在意義を示し続けなきゃならない。もう俺達に自分のことを考えてる暇はねぇんだ。ただひたすらに人を助けるんだ。」

 

ここでの「呪術師」を自分の職業に置き換えると感慨深く、奮い立たせてくれる台詞である。

 

私の現場にいる医師は、「呼吸器は任せた。」と潔い。

 

自分の専門外はより良い判断が出来る者に任せる。

 

任せられた側は責任も伴うので必死になって治療にあたる。

 

そこに信頼関係が生まれる。

 

好循環であり、理想的なチーム医療ではないか。

 

これからも限られた医療資源(人材含む)の中で、(各現場に呼吸器専門医がいるとは限らないし、主訴でない疾患に対して専門医にコンサルする事を本人家族が望むこともまれ)最大限良い判断をして診療にあたりたいものである。

【2023年振り返り】断捨離

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

今年も残すところ後少し。

 

今年は花粉症デビューの年だった。

 

来年からは抗ヒスタミン薬で対策を行う。

 

2023年を振り返る。

 

電子カルテへの移行〜十日恵比寿〜挨拶回り〜認定薬剤師の更新〜地域誌活動〜スポーツファーマシスト更新〜資格取得の為の作戦会議〜実習の手配〜大学教授との繋がり〜研修講師〜学会発表〜施設内服薬管理への介入〜NSTへの参加〜ゴルフ

 

家庭の方は、インフルエンザ感染など4月まで帰宅しても誰かが体調不良でまともに会話できなかった。

 

5月からは家にいても子供たちには刺激がないと考え出かけることが多かった。

 

万博公園に始まり、倉敷〜四国水族館〜奇跡的なタイミングで親戚と遭遇〜鹿児島〜しまじろう〜花火〜フェラーリ〜恐竜〜ピヨまん〜七五三〜歯医者〜おもちゃ王国〜運動会〜神戸どうぶつ王国〜三宮〜岡山城〜後楽園〜トゥースフェアリー〜京都鉄道博物館

 

今年はとにかく断捨離した。

 

使ってないものは売り捌いた。

 

それでMacBook購入〜ジム週2回〜ワイン〜睡眠環境改善

 

ものだけではなく、心も体も断捨離した。

 

これまで通りストレス軽減を意識したが、11月〜年末はこれまでに経験したことのない種類のストレスを感じた。

 

ストレスがないことによるストレス。

 

何もないことによるものなのか。

 

やり場のないストレスを妻に向けてしまったりもした。(反省)

 

解消法もわからない中でとりあえず、

 

心拍を200まで上げる運動をしたり、冷水シャワーをしたり、ジムで追い込んだり。

 

脂肪(余分なものに限る)とネガティブなマインド(最悪の想定は可)の断捨離。

 

体を追い込むことをしないと精神的によくないと感じた。

 

成果は今病んでないことが証明しているのかもしれないが、もう少し継続してみる。

 

来年の目標は、仕事では関連施設服薬管理の確立。

 

プライベートでは、7月に弟の結婚式。

 

2月にはこの一年の取り組みに対する結果が控えている。

 

健康の為にワイン1日1本を0.5本に減らす。

 

子供達と過ごす時間を増やす。

 

など。

 

数年後、今の子供達と過ごせなかった時間のことはおそらく後悔する。

 

そんな中でも昨年、仕事を天秤にかけて仕事を選んだ。

 

どちらを選んでも後悔していたと思うが、どちらかを選ばないといけなかった。

 

両立したかったがそれは難しかった。

 

許可してくれた妻には感謝しかない。

 

せめて経済的には楽をさせられるように、仕事で結果を出す。

 

それが子供達にとっても道標になるのではないかと思っている。

 

来年もよろしくお願いします。

 

【敷地内薬局】利益を追求する株式会社の限界

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

今日は以下の記事に対する私の意見です。

 

やや感情的な部分はご容赦ください。

 

『アイン社長逮捕で改めて考える なぜ敷地内薬局がいけないのか』日経ドラッグインフォメーション

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/di/column/inout/202312/582175.html

 

今回の不正は『共謀して公正な入札を妨害した疑い』にある。

 

敷地内薬局が不適切とは結びつかない。

 

また、『医師と薬剤師が互いに独立して監視し合う』ことが医薬分業の根幹なら、敷地内薬局は独立してないのか。

 

『利便性』の敷地内と『安全性』の敷地外が構図として成り立つなら、今すぐ敷地内薬局を撤廃すべき。

 

そうなってないのは最低限の安全性が担保されているからではないか。

 

むしろ医師に対面で疑義照会できる敷地内薬局は安全性の面で優っているとさえ思う。

 

疑義照会は『気づいてくれてありがとう』と感謝されることも少なくない。

 

また、敷地内薬局は『適切な疑義照会ができにくくなる可能性がある』とは?

 

薬剤師は処方に疑義がある場合は解決してからでなければ調剤してはならない。

 

法律で定められていることであり、そもそもそのような『可能性』があってはならない。

 

私の見解として、筆者知人(?)の経験にある『私の処方にケチをつける薬局はでていけ』と発言した医師と薬剤師の関係性構築に問題があると考える。

 

確認したいのは、疑義照会をした薬剤師と処方医(敷地内薬局を追い出す権限のある医師)の関係性は如何ほどであったのか。

 

私が想像するに面識すらなかったのではないか。

 

これは私の持論であるが、面識があれば(面識があると認識されていれば)疑義照会で揉める事はない。

 

少なくとも他所の組織の長をつかまえて脅しをかけるようなことはしない。

 

例えば、警察官が乱暴な運転をしている人に注意をしたとして、その警察官が偶然にも知り合いだったり面識があれば腹を立てたりするだろうか。

 

警察官(運転手と知人)「気をつけてね。」

運転手(警察官と知人)「急いでたんだ。ごめんね。」

 

で終わる。

 

少なくとも、

 

運転手(警察官と知人)「俺の運転にケチをつけるのか。」

 

とは言わないだろう。

 

もしそれが病院の方針として敷地内薬局を追い出すような働きがあるとすれば、それはその病院に問題があると言わざるを得ない。

 

後に入る薬局も何故撤退したのかを調査して入る以上、理不尽な追い出され方をした敷地内に入るのはリスクが高すぎるだろう。

 

従って、この記事は今回の事件と『敷地内薬局は相応しくない』と言う筆者の意見のこじ付けである。

 

仮に筆者に資金力とコミュニティがあり、敷地内薬局開局の打診があれば必ず断ると言い切るのか疑問である。

 

調剤薬局経営者の筆者が敷地内薬局に反対の立場をとるのは、医薬分業と言う大義名分を語りながら、近隣に敷地内薬局が増えれば、地域に散らばる院外処方が減り、最大の収益源である処方箋枚数が減り、筆者の薬局経営が立ち行かなくなるのを懸念しているからに他ならない。

 

それが見え隠れするこじ付けの理論に違和感があったので考えを記してみた。

 

 

【空気のような存在】薬剤師のあるべき姿

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

医療において、医師は将軍。

 

これは私の持論でもあるが、ほぼ間違いないと思っている。

 

医師は、疾患という相手に対して、患者と看護師、コメディカルと協力して倒しにいく。

 

一人で戦える戦ではない事は優秀な医師ならわかっている。

 

周りを鼓舞し気を使い、一方で組織を強くする為に叱咤激励する。

 

その戦の一員である薬剤師は決して目立つ存在ではない。

 

薬(武器)を使うのは医師や看護師であり、薬剤師はその使い方をレクチャーしているに過ぎない。

 

「薬の使い方は知ってるから口出し無用」と言われればそれまでであるが、医薬品の流通や新薬の情報、新たな適応は毎日更新される。

 

それを常に把握するのは難しいだろう。

 

また、医師からは「原因となる可能性がある薬は何か飲んでるかな?」と問い合わせもある。

 

低血圧、類天疱瘡、下痢etc.

 

診断はついているので後は原因が薬物である可能性があればそれを取り除くための情報提供を行う。

 

薬の説明書(添付文書)を開いて、副作用情報を拾い、医師に伝えるのが薬剤師ではない。

 

今の患者の状態、相互作用、服用期間、個々のケースを評価した上で服用のメリット・デメリットを伝える。

 

それがこれからの薬剤師に求められる能力だと思う。

 

医師や看護師からたとえ求められてなくても薬の不適切使用は正していく。

 

必要な時にすぐ聞ければいいし、必要なくても助言をするのが薬剤師である。

 

そういう意味では空気のような存在であるべきだと思う。

 

丁度良かった、聞きたいことがあったと言われればモチベーションはあがるが、仕事にモチベーションは求めているわけではない。

 

医療を提供する上で必要時に現れて助言する。

 

それが薬剤師。

 

診察している正にその時に立ち合って、処方の経緯を理解した上で(必要であればその場で助言・確認して)調剤(薬の準備)をするのが理想であると個人的には考えている。

 

現実的には難しいので、処方から推察して、検査値をみて、必要に応じて関係各所に(患者含む)聞き取りを行った上で不適切使用ではないことを確認できれば与薬(投薬、指導、投与等色々言い方があるが、細かく区別する為にはそれだけで記事になる)している。

 

結果として薬剤師は何もせず与薬しているように見えるが、実はそういうわけではない。

 

仕事とはそういうものだとも思うが。

 

一方で、実績はあげないといけない。

 

そちらも着実に。

 

仕事なので。

 

薬剤師は地味な仕事だが医療には必ず必要な仕事だと思っている。

 

世間的には色々な場面で様々意見があると思うが、既得権益は排除して薬剤師の本質を評価してもらえると有り難い。

 

制度を正せばきっと空気のように、なくてはならない存在だと言ってもらえると思う。

【腎機能と残薬】疑義照会の内容

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

病院でも薬局でも、薬剤師の仕事の一つとして疑義照会がある。

 

疑義照会とは、『医師の発行した処方箋の記載処方意図を明らかにし「重複投薬」「薬剤名」「用法」「用量」「薬物相互作用による禁忌」「投与日数」等の記載不備を発見し安全な医療を提供することで、疑問点や不明な点があるとき、記載内容が適切かどうか薬剤師が確認し、処方箋の作成者(処方医)に問い合わせて確かめること。』(wikipediaより引用)

 

命に関わることもあれば、念の為の確認などもある。

 

そんな中でどのような内容が実臨床で多いのかと言うと、腎機能低下による用量調節(病院)と残薬調整(薬局)である。(個人的見解)

 

病院では検査値が確実に確認できる。

 

さらに年齢だけでなく、体重が分かれば推定ではなく、より正確な腎機能を知る事ができる。

 

腎機能が低いままに健常人と同じ用量で薬を投与する事は、子供に大人と同じ量の薬を飲ませる事にほぼ等しい。(腎機能に影響されない薬もあり、これらは用量調節不要。)

 

つまり、客観的かつ確実な情報をもとに疑義照会ができる為、問い合わせても「適正用量に調節しておいてください」とだけ医師から言われることもある。

 

多忙な医師にとって、診察で診断がつき治療薬が決まれば、あとは後回し(優先順位は低い)となる。(医師にもよるが)

 

診断後、治療薬決定(←ここに関与できるのが薬剤師の診療同行であり、これが理想。訪問診療同行で実践中。)からが薬剤師の仕事である。

 

患者の状態から適正用量を判断するのは医師でなくても良いのではないだろうか。(現状で処方権を持つ医師の裁量)

 

錠剤は飲めるか、小さいものなら飲めるのか、分割して良い錠剤なのか、粉薬しか飲めないのか、粉にしてもよいのか、粉として売られているものがあるのかなどの剤形の選択。

 

治療薬を決定した医師にとってそこは『サービス』の領域ではないかと考えている。

 

薬剤師はそこのプロである。

 

服薬可能な剤形(剤形の種類を把握している)を選択でき、さらには患者の状態から適正用量を判断できる。

 

効能効果による薬剤選択に医師の指定がなければ、薬価(薬の価格)や服薬コンプライアンス(服薬遵守)の観点からも最適な薬剤を薬剤師は提案できる。

 

つまり、より正確な情報がとれる病院において薬剤師の裁量は広く、より高度で質の高い薬物治療が実践できる。

 

   最近では「〇〇の疾患だけど治療薬として何が考えられる?」「A薬とB薬、こんな状態の人にはどっちが良いかな?」と言った問い合わせがある。薬剤師冥利に尽きる話である。

 

一方で薬局においては、検査値が処方箋に記載されていたり、患者自身から検査値を見せてもらう以外の方法で正確で確かな情報を得ることは難しく、私が薬局にいた頃も「90歳とご高齢で小柄な為、腎機能をご確認頂き、CCr〇〇以下であれば△△mgへ減量をお願いします」と言った具合の疑義照会となる。

 

勿論薬局での疑義照会の内容として、腎機能からの用量調節は病院程多くない。

 

薬局における客観的で確かな情報は『残薬(手持ちのお薬の残り)』である。

 

次回の受診が1ヶ月後であるにも関わらず、手持ちが処方箋をもらった時点で半月分以上残っているとしたら、「今回は半月分の薬でいいですか?」と言った介入になり、疑義照会として「手持ちの残が〇〇日分あるので今回は1ヶ月分ではなく△△日分の処方をお願いします。」となる。

 

『余裕を持ってもらいたい』と思われる方もいると思うが、『必要以上の残薬は過量投与の危険性』や『薬剤費の増大(社会保障費の切迫)』が懸念され望ましくないとされている。

 

あくまで、処方薬は次回受診までの薬であり、必要以上の量を持つ事にも意味はない。

 

もし次の受診で薬がA薬→B薬になれば手持ちとして余裕を持って確保していたA薬は無駄になる。

 

「勿体無いから飲み切ってから」は通用しない。

 

診察で変更されれば多くの場合、もはやA薬は患者の状態に合っていない不適切な薬である。(返品もできない)

 

以上のことから残薬を持っておく事に価値がないことは理解してもらえたと思う。

 

別の観点から腎機能による用量調節と残薬調整を比べた時、より薬剤師らしい介入は前者であると考えている。

 

クレアチニン値からCCrを算出、最適な投与回数に落とし込み、用量調節。

 

過量投与による副作用発現を未然に防ぐ仕事である。

 

賛否あることを承知で言うと、残薬調整は薬剤師でなくてもできる。

 

単純な足し算引き算であり、実際前職の薬局では調剤事務員さんが日数まで調整して薬剤師は「残薬調整してます。」とだけ伝えればよかった。(←居宅療養管理指導であり、処方元との事前の取り決めもあった為、患者を待たせることはない。疑義照会としての薬剤師の業務量も関与も少ない。)

 

一般的な薬局は処方元に疑義照会をして日数変更の了承を得なければ薬を患者に渡せない。

 

つまり、薬局薬剤師もより高度な薬物治療に関わる必要があると感じている。

 

それにはやはり【処方意図の把握】が絶対条件であり、そこを理解するには【処方医師とのコミュニケーション】は必須であると考えている。

 

病院はすぐそこに処方医はおり、内線で連絡も容易い。

 

結局はそこの差ではないか。

 

要は『疑義照会の内容からみても、より高度な薬物治療=薬剤師らしい仕事を多くするなら病院。その実践スキルは病院薬剤師としての経験と理解で身につく。それが困難な場合は、処方医師とのコミュニケーションを前提に処方意図の確認』が必要だと思う。

 

薬局薬剤師でも高度な薬物治療の実践は可能であり、私は訪問診療同行が一つの手段として有用であると考えている。

 

少なくとも薬局に閉じこもっていては薬剤師らしいことは実践できないことは確かである。

 

日々の病院での疑義照会を振り返った時に改めて感じる事があったので書き留めてみた。

【救急医】医療ドラマの世界

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

常勤医ではない救急医が当院に来る機会がある。

 

夜間救急当番。

 

その地域の夜間救急医療を近隣医療機関と輪番制で担っている。

 

当院は慢性期病院であり、基本的に救急医療には対応していない。

 

ただ、この時だけは職員一丸となって普段にはない救急医療で地域に貢献する。

 

その一つが当番である。

 

当院常勤医は日頃から救急をやっている訳ではなく、慢性期医療のスペシャリストである。

 

そこにプラスして当番となるとその負担は大きい。

 

そこで手を貸してくれるのが非常勤の救急医である。

 

勿論、慢性期にかかる患者を継続して治療できる医師はその道のスペシャリストであり、救急にはない観点で医療を行っている。

 

少しずつ腎機能低下など生理機能の低下と共に点滴量や薬物量は調節しなければすぐに過量投与になる。

 

小児薬用量と同様、高齢者薬用量と呼べるかもしれない。

 

一方で救急医は、その時困った症状のある患者に対して瞬時の判断で最適解を導き出しその症状を取り除く治療にあたる。

 

救急受診患者は待ってくれない。

 

次から次へと患者がくることもある。(不思議と重なる)

 

その場合はトリアージが必要となる。

 

簡単に言うと優先順位。

 

アナフィラキシーショックは最も重篤な状態の一つであり、命に関わるが、胃腸炎などはそれに比べると緊急性はない。

 

その判断を一つ一つ丁寧に的確に迅速に行なっていく。

 

その様子を側で見ていると鳥肌がたつ。

 

同時に4〜5つのことを並行して優先度の高いものから行うのを見ると同じ人間とは思えない。

 

台本がない医療ドラマを生で見ている感じ。

 

一つ間違えると人が目の前で息を引き取る可能性だってある。

 

そこに薬剤師として関わる事ができている高揚感。

 

薬局で予防医療を主にしてきた者としては新鮮であり、医療を志した頃の事を思い出す。

 

なかなか医療従事者になって良かったと思う場面も少なくなってきたが、この時のことを振り返るとそんな感情になる。

 

反省も多々あるが、知識をアップデートできる機会があるのも有り難い。

 

引き続き地域医療に貢献できるよう努める。

誕生と終焉

 

薬剤師夫婦/夫です。


私の勤める病院は慢性期病院です。


長期療養が必要で、在宅復帰困難な方が多く入院しています。


見取りを目的としているわけではありませんが、地域の方々最期を迎える場所として相応しく望まれる場所となれるよう日々精進しています。


本人や家族が望む形での最期を迎えられるようお手伝いする事が役目であると考えていますが、同じ病院で働く個々の考え方やアプローチが少しずつ異なることも事実です。


入院する際、何かしら疾患を抱えて治療を目的として受診されますが、『延命の為の積極的な治療』を望むのかをまず最初に確認する事になります。


人工呼吸器をつなげば延命にはなりますが、人間らしい事はできません。


一度つなぐと人工呼吸器を止めることはできません。


心臓が止まって心臓マッサージをすれば、動き出す事もありますが、高齢の女性は肋骨が折れる事もしばしばあります。


これらは穏やかに最期を迎えることとは正反対なのかもしれません。


また、例えば90歳を超えてからがんが発覚する事もあります。


慢性期病院に入院中、がんが発覚したとき、積極的に治療を望むかは本人や家族の意向によりますが、多くの場合は治療はせず穏やかに最期を過ごすことを望まれます。


がん自体の増殖も高齢であればあるほど緩やかであること、抗がん剤治療を開始したところで副作用や体力消耗によって命が短くなる可能性もある為です。


死生観に関わる為、一概に言えませんが、平均寿命を過ぎてから、疾患を治療し続けて1分1秒でも長く命を繋いで苦しい思いをしながら最期を迎えるのか、苦痛を和らげた状態で大切な人と穏やかな時間を過ごしながら最期を迎えるのか、選べるなら後者が多いのではないかと考えています。


主治医との治療方針の決定はそこに直結するものであり、医師の考え方やアプローチは重要です。


極端な話、『延命の為に積極的治療を推奨する医師』と『延命の為に積極的治療を推奨しない医師』との治療方針の決定は、結果に明確な違いがでてきます。


勿論、『延命の為の積極的治療を推奨しない医師』と言っても必要な治療は行います。


ここで述べているのは、90歳を超えてがんの治療を積極的に行うのかという話です。


高齢社会となり、自分や周りの大切な人達の最期を考える機会が増えました。


命の誕生が素晴らしいのと同様、命の終焉も素晴らしくて良いのではないかと考えています。

 

取り留めのない話をしてしまいました。


少し考えをまとめてみようとしただけです。

 

【病院薬剤師】薬剤の適正使用について

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

病院薬剤師として勤め始めて2ヶ月が経とうとしています。

 

この間、色々なことがありました。

 

前職の引き継ぎ、引越し、移転、体調不良etc.

 

仕事内容が何より大きく変わりました。

 

保険調剤ではなく、病院での薬物治療における薬剤適正使用に携わるからです。

 

具体的には扱う薬品のうち、注射調剤を行うのが一番の違いです。

 

内服薬と違い、注射薬は静注されると代謝を受けず体内で全て利用される(バイオアベイラビリティ=100%)為、それだけ投与された時のリスクも高まります。

 

用法用量、薬の取り違え、誤薬は内服薬以上に注意が必要です。

 

薬局内での調剤支援システムの導入も要検討事項ですが、やはり複数の目で確認をすることが現状必須となっており、払い出す薬剤師と最終的に与薬を行う看護師との意思疎通はそれだけ大切です。

 

調剤薬局には基本的に専門職は薬剤師しかいない為、私の前職である在宅支援薬局のような特殊例を除いて閉鎖的になりがちです。(施設基準や算定要件など国のビジョンに基づき他職種連携は必要となってきています)

 

コミュニケーションをとる割合として、病院薬剤師になってからは他職種と患者では後者が大幅に減りました。

 

逆に前者である医師、看護師、MSW(ソーシャルワーカー)、栄養士、理学療法士、作業療法士etc.との連携は密になり、それだけ専門的知識が求められるようになりました。

 

薬剤師にとって薬局で働くのか、病院で働くのかは仕事の内容などに大きな違いがあり、一般的には薬局から病院への転職は難しいとされています。

 

事実としてそれは分かってはいたものの、実際働き始めてみて戸惑いもなくはありません。

 

とりあえず、今しかできないことなので30代である世間的に若いとされる年代のうちにできる経験をしておきます。

 

 

【ALS】希少疾病について考える

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

今日は希少疾病について。

 

薬剤師として現場で働いていると、中にはとても珍しい病気で受診される方と関わることがあります。

 

これまでに2人とALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の治療に携わりました。

 

お一人は退院時カンファレンスから自宅での療養をサポートさせていただきました。

 

薬物治療については、内服と注射による治療と進行抑制に効果が期待できるものが1種類ずつあります。

 

それ以外は対症療法です。

 

原因がいまだ不明の為、有効な治療が確立されているわけではなく、今も研究が進められている段階です。

 

有効な薬物治療が研究されている中でも病状は進行する為、様々なアプローチでの治療が行われています。

 

その中で今回勉強したのは食事療法です。

 

 

薬と食事は共に体にとっては異物であり、リスクとベネフィットがあり、その違いは病気に対しての治療効果の有無だと考えています。

 

本邦で薬価収載され保険適応されている医薬品はいずれもエビデンス(最近この言葉が巷でやたらと乱用されていることが気になる)レベルの高いデータが蓄積されたものです。

 

食品は治療の為に使われている訳ではないので、あくまで食品として消費されます。

 

従って食事療法という言葉には一定の矛盾を感じざるを得ません。

 

しかし医療において食事は切っても切れない間柄です。

 

薬剤師も食事を考慮(食事の影響を受ける薬物も沢山ある)した上での薬物治療にあたりますが、薬物と食品(サプリメント含む)を明確に分けて考えます。

 

それは勿論薬物治療がEBM (エビデンス)に基づくものだからです。

 

話を元に戻すと、今回読んだ本の内容はとても興味深く、これが科学的に証明されれば病気で苦しむ方の治療の手助けになることは間違いありませんし、個人的にもそれを望んでいます。

 

ただし、薬剤師の立場からこの本を根拠にこの本の通りに実践することをお勧めすることはできません。

 

それは前述の通りの理由からです。

 

希少疾病はN数(被験者数)が限られる為データの蓄積が容易ではありません。

 

だからこそ、国はお金をかけて研究を進める援助をしていますが、国民としては正しい情報(科学的根拠のある情報)を取捨選択する必要があります。

 

日常的な治療でデータを見るとき、一番手っ取り早いのはN数を見ることです。

 

N数が多いほどエビデンスレベルは高くなります。

 

そもそも一次資料の一つの論文を参照することは稀で、サプリメントがわかりやすいですが、「個人の体験談」などとあるのはつまりN=1であり、仰々しくグラフを載せて『見せ方』で信用を得ようとしたものも巷に散見されますがどれもN数は良くて30程度です。

 

医薬品はプラセボ(偽薬効果)を排除した上で有意差があると判定できるものを桁違いのN数で実験し、同様の論文を幾つも集めメタ解析したものが治療ガイドラインの推奨として上位に上がってきます。

 

これを根拠を薬剤師は薬物治療を行います。

 

薬を渡しているだけのように見えて、全てはエビデンスに基づくものです。

 

薬局で「この薬は効きますか?」と質問されたら(日常的には難しいですが、)薬剤師としてはその疾患におけるガイドラインの薬物治療を根拠に示すことが正解となります。

 

最後に、この記事で伝えたいことは食事療法を否定することではなく、薬剤師の立場からこの本を自分の患者さんに渡し推奨することはできないということです。

 

感情的には少しでも希望の光となり、患者さんが勇気づけられ気持ちが元気になってそれが生きがいになるのであればお勧めしたい気持ちもありますが、私は薬剤師としてこの患者さんに携わっている以上、エビデンスに基づく薬物治療に専念することが使命です。

 

一刻も早い研究の進展と治療の発展を願います。

【専門性】薬剤師が伝えるべきこと

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

今日は一歩踏み込んだ事を考察しようと思います。

 

勤務先の上司と食事に行く機会があり、キャリアパスについて考えさせられる中で、『薬剤師の専門性とは何か』について自分自身を見つめ直していました。

 

これからの薬剤師にはより専門知識で医療に関わる必要があり、『薬を渡すだけ』の薬剤師はもう通用しません。

 

専門性とは「特定の分野についてのみ深く関わっているさま。高度な知識や経験を要求されること、またはその度合い。」(Weblio辞書、実用日本語表現辞典より)

 

薬剤師にとっての専門性とは薬学についての知識です。

 

薬学は物理、化学、生物をベースにして、公衆衛生学、生化学、薬理学、薬物動態学、製剤学、薬物治療学などに大別される学問です。

 

各々がくっついたり離れたりしますが、ざっくりとはこれらのどこかに分類されます。

 

これらをトータルで身につけている者が薬剤師とされてます。

 

医学と比較すると、ベースは同じですが、薬理学や薬物動態学は医師も深く学んでいる事は稀であり、ここに薬剤師が専門性を発揮できる道があるのではないかと考えています。

 

現場においては、薬理学や薬物動態学に基づく副作用リスクを予め他の医療従事者や患者、患者家族に伝えることで、治療方針自体変更になる可能性もあります。

 

グアンファシンという薬があります。

 

AD/HD(注意欠陥/多動性障害)に用いられます。

 

作用機序=薬理学的には「前頭前皮質の錐体細胞の後シナプスに存在し、ノルアドレナリンの受容体であるα2A 受容体を選択的に刺激することで、シグナル伝達を増強させる」(シオノギ製薬、インチュニブ適正使用ガイドライン)とあります。

 

これを読んで薬剤師は、他剤の降圧薬『メチルドパと作用点は一緒か。』となります。

 

実際、グアンファシンは過去に降圧剤の適応を持った医薬品として流通していました。(現在では降圧剤としては販売中止。)

 

つまり高血圧ではないAD/HD患者にグアンファシンを用いた場合、副作用として血圧低下と徐脈が起こる可能性があります。

 

このように作用機序から副作用を予測することができます。

 

少し前のこと、グアンファシン服用中の施設入居中の方で脈が40程度が継続したことがありました。

 

ご家族の希望で受診され、主治医からは「インチュニブ による徐脈と考えられるが、中止の必要はない。」との診断がありました。

 

診察時、脈拍60程度と正常値でもありました。

 

しかし家族の強い希望とふらつきも時折ある(ご本人は障害を持つことから自覚症状の訴えは乏しい)との聞き取りからインチュニブ減量の判断になりました。

 

1日6mg→1日4mgにして漸減する方針で指示があり、診断当日から減量しました。

 

ところがその三日後、施設で過ごしていたところ介護職員に対して、減量前には見られなかった暴力行為がありました。

 

即時主治医に連絡し、6mgへ戻す指示があり、戻した後はそういった行為は見られません。

 

その後施設職員に対して本人は「ごめんな。ごめんな。」と自分の衝動が抑えられなかったことを何度も後悔している様子だったそうです。

 

これを聞いた私は、薬剤師として『減量に慎重な姿勢を取れなかったか。』『指示をただ鵜呑みにしていなかったか。』反省しました。

 

何より暴力を受けた職員(怪我はありませんでした。)もそうですが、本人が減量により精神的なダメージを受けた可能性があることが悔やまれます。

 

家族の固定観念として『グアンファシンは強い薬物』というのがあったとすれば、薬剤師としては『降圧剤として適応を持っていたくらい、他のAD/HD治療薬と比較して安全な薬である。』と言う情報提供をしていれば、また治療方針は変わっていたかもしれません。

 

医師も元々はグアンファシンが降圧剤だったことは知っていたとは思いますが、家族も薬剤師からそれを聞くとまた違って聞こえたかもしれません。

 

このように薬学的知識を用いた情報提供で治療方針に介入することがこれから求められていると考えているので、引き続きアンテナをはって日々の診療の役に立てるよう努めます。

【地域差】普遍的なもの

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

今日は薬剤師の仕事について。

 

薬剤師には医師の処方箋に基づき調剤する以外に『その処方が正しいかどうか』を『鑑査』する仕事があります。

 

薬学的観点からその処方が不適切と考えられる場合は医師に疑義照会して場合によってはその処方の調剤を拒否することもできます。(拒否はまずありませんが)

 

今日、抗生剤が患者さんに処方され、用法を見たところ1日2回朝夕食後となっていました。

 

しかしその薬は1日1回で効果を最大化できる薬であり、添付文書(おくすりの説明書)上も1日1回となっています。

 

疑義照会の結果、用法は1日1回へ変更となりました。

 

理由としても、抗生物質の適正使用を促進する為、耐性菌防止の観点から薬学的知識(PK/PD理論)を用いた判断のもと行った疑義照会のため、それに伴う加算を算定してもらうように指示しました。

 

そこで他の薬剤師から「これは医師のケアレスミスであり、加算の対象ではない」と指摘されました。

 

様々な事情(①私自身店舗に来てまだ日が浅く、都道府県レベルでレセプト請求した時の判定の差がまだ把握できていない②施設入居の方であり、その指摘をした薬剤師は施設担当者であった③当局は個別指導の対象店舗である可能性が高い)を考え加算をしない判断をしました。

 

ですが、なんだかスッキリしませんでした。

 

「ケアレスミスを見つけるのが薬剤師の仕事では?」と帰宅後話を聞いた妻は言いました。

 

確かに。

 

明らかな打ち間違いではない(仮に打ち間違いだとしても)と判断し、薬学的観点からその理由もはっきりと説明できることから算定しても不適切ではないと思いますが、ここは堪えます。

 

ここで無駄に衝突をしても(理解ある大人な薬剤師なので衝突しませんが)良いこと無いと思います。

 

身近な人が私と同じ意見であればそれで十分です。

 

だから私は国語より数学が好きなんです。

 

文章の解釈によっていくつも答えが出てくる国語と、答えが一つしかない(数学でも3個の答えがあることもありますが、それは3個の答えがあると言う一つの答え)数学。

 

法の解釈で仕事をする法律家の方たちを本当に尊敬します。

 

私は数学や化学の世界で『普遍的なもの』を基に仕事ができることを嬉しく思います。

 

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【オーダーメイド】個々に合わせた状況判断

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

個人在宅は患者さん個々のご自宅にお邪魔するので一つとして同じ状況、シチュエーションというものがありません。

 

先日伺ったお宅にて、(よくある事ですが)事前に情報がなかった服薬が発覚しました。

 

歯科にかかられた際、治療の為抗生剤が開始となったご様子でした。

 

歯科ではなかなか併用薬のチェックまでは難しいことが多く、今回の場合もおそらく併用されてる薬までは歯科医の先生は見られてなかった可能性があります。

 

    アジスロマイシン 2錠分1夕食後 3日分

 

伺ったタイミングが服薬の最終日でした。

 

この抗生剤は3日の服用で7日間の効果が持続します。

 

その為にも3日間は飲み切って頂くことが重要で最優先事項です。

 

さてこの時、この方が夕食後に服薬されている定期薬の中に以下の薬がありました。

 

    酸化マグネシウム330mg 3錠分3 毎食後

 

結論から申し上げると、前述の抗生剤と同時に服用すると抗生剤の効果が減弱する可能性があります。

 

抗生剤と金属はキレート形成と言って、お互いが結合してしまい、抗生剤が消化管から吸収されず、効果を発揮するに至らなくなります。

 

対策としては2時間程度服薬をズラすことです。

 

お互いが結合することなく抗菌効果を発揮します。

 

薬剤師なら国家試験でも頻出であり、9割以上の殆どの方が知っている内容です。

 

ここで現場での個別の事象が問題を複雑にします。

 

  ①患者自身がお薬カレンダーを用いて服薬管理をしている。(おくすりのセットは薬剤師が行っている)

 

  ②認知症をかかえており、変化に弱く、新しい物事を強要することは難しい。

 

  ③定期薬の服薬は習慣化されており、飲み残しは少ない。

 

  ④下剤(酸化マグネシウム)はスキップせず毎食後服用で排便コントロールされている。

 

  ⑤2日分の抗生剤は酸化マグネシウムと同時に服用したものと推測される。

 

以上の条件が加わると答えは一つとは限りません。

 

  対策❶ 2日間同様3日目も同じように服用してもらう。

 

  対策❷ 伺った日の酸化マグネシウムだけ抜き取る。

 

  対策❸ 付箋を付けて酸化マグネシウムだけ別にして2時間後に服用してもらう。

 

以上の選択肢を考え、実際に私がとった行動は対策❶です。

 

根拠としては、(以下専門的内容となります。)

 

アジスロマイシンは時間依存型抗菌薬であり、マグネシウムとの併用でCmax (濃度ピーク)は低下するものの、AUC (濃度曲線下面積)は不変とのデータがあること。

 

7日間効果の持続するアジスロマイシンの特性上、下降曲線が後ろに伸びるリスクと3日目の抗菌薬の服薬が出来ず想定される抗菌作用が期待できないリスクを天秤にかけた時、前者の方が治療上メリットがあること。

 

以上より、前述のような判断に至り、患者さんには「きっちり3日目も服用してください。」とだけお伝えしました。

 

100人薬剤師がいたら100人が同じ判断をしたとは限らない事例です。

 

『酸化マグネシウムを毎食後飲んでいて、一回飛ばしたぐらいで便秘になることはないだろう。』

 

と言われる方もいると思います。

 

それに関しては、認知症患者に対して「酸化マグネシウムをスキップするからね」と伝えたところで数時間後には忘れてしまっている可能性が高く、付箋で注意喚起して『酸化マグネシウム抜いてます』と残したとしても(変化に対応できず)余計に混乱を招く可能性が高いと判断(ここは個別症例のその場での判断)し、それなら2日間服薬できていたならこの調子で確実に3日間飲み切ってもらった方が(変化が最小限となり)抗菌作用も最大化させる(想定に届かずとも)との判断に至った次第です。

 

黙って酸化マグネシウムを抜くこともできましたが、患者の同意が得られない状況で実行することは困難と判断しました。

 

在宅訪問薬剤師ならではの行動かもしれません。

 

このようなことは頻繁に起こります。

 

想定外の受診による臨時の服薬などはケアマネジャー等と情報交換、情報共有を密にする事である程度は回避できますが、全ての症例に対して完璧に把握することは難しく、引き続き現場での対応、対策が必要とされ、今回のように薬剤師には、薬学的観点から治療上の優先順位をつけ最適解を導くことが求められているのではないかと感じる場面でもありました。

【カルテ】医療機関同士なら共有すべき

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

年度末は報酬改定の時期です。

 

この業界は1〜2年に一度国の定める保険の点数の改定があります。

 

多くの人が1〜3割の負担で医療を受けることができていますが、保険点数は国がきっちり定めており、薬局など保険薬局はその中のルールに従って残り7〜9割を国に請求しています。

 

そのルールが変わるのでこの業界の方々は生活がかかっているので情報収集に必死です。

 

なかでも薬局がかかわってくるのが調剤報酬改定です。

 

大手調剤薬局チェーンが世間的に厳しい目で見られ始めてから、『薬局の存在意義』を示す為、薬局も国も双方試行錯誤を繰り返してきました。

 

そしていよいよ、今年の調剤報酬改定では、その変革が明らかとなってきました。

 

まず一番大きく変わってきたのが、モノ(薬)を揃えることには点数(報酬)はつけないという事です。

 

当たり前といえば当たり前ですが、処方箋に書かれた薬を間違いのないようにとりそろえること、それだけでは薬剤師の仕事としては不十分ということになります。

 

まず処方箋の薬が本当にその人に必要なのかどうか。

 

必要な薬だったとして、次はその薬が安心安全に使うことができて、薬物治療が確実になされるのかを判断することが薬剤師の仕事です。

 

ここを判断することが求められています。

 

薬局薬剤師の判断材料は、主に患者からの聞き取りと、処方箋とお薬手帳です。

 

得られる情報として少なく感じませんか?

 

最近では処方箋に(血液)検査値などを載せてくれる医療機関も出てきました。

 

ないよりか全然いいと思います。

 

でもまだまだ不十分です。

 

お薬手帳にまだまだ紙媒体で、家に忘れてきたらその情報はない状況で判断せざるを得ません。

 

今の在宅支援薬局では主に連携をとる診療所のカルテの一部を見ることができます。

 

これまで院外薬局(通常の薬局)で働いてきた私にとっては信じられない情報量です。

 

もはやどこまでが疑義照会でどこまでが単純な確認なのかわかりません。

 

でも問い合わせている内容はほぼ全て通常の薬局であれば疑義照会に匹敵する内容です。

 

(疑義照会とは処方箋の内容に疑問があれば問い合わせ、確認した後でないと調剤してはならない、という薬剤師の独占業務です。)

 

『2錠分1朝食後での処方ですが、頓服でなくて良いですか?』

→頓服へ変更。

 

『利尿剤の減量は処方箋上40mg→20mgではなく、80mg→20mgとなりますがよろしいですか?』

→80mgから40mgへの減量。

 

など一日にこういった変更がない日はありません。

 

これらはカルテの閲覧がなければ通常の外来ではスルーされてた可能性が高い内容です。

 

カルテの共有は地域レベルでは取り組んでいる自治体もあるそうですが、国レベルでの動きではありません。

 

(私の勤める訪問診療クリニックと密に連携する薬局は診療所のご厚意でカルテ閲覧が可能となっている。)

 

電子カルテも様々メーカーがあり、統一することは難しい状況です。

 

ただ難しいからと言って、このまま薬局薬剤師が患者からの聞き取りと処方内容、一部検査値、紙媒体のお薬手帳だけから推測(臨床推論は素晴らしいスキルではあるが)して投薬するのは明らかにリスクです。

 

何より患者の利益になりません。

 

安心安全な薬物治療を進めるなら、絶対に医療機関のカルテ閲覧を処方箋を受けた薬局には可能にするべきです。

 

実際オランダなどの西洋諸国は薬剤師の権限は日本の薬剤師よりも幅広く、カルテの閲覧も可能と聞きます。

 

私にできることは少ないかもしれませんが、少しでも患者の利益になるための仕事ができるように日々積み重ねたいと思います。

 

 

 

 

【問い合わせ】わからない事を薬局に聞く

 

薬剤師夫婦/夫です。

 

病院からの問い合わせで、「生理食塩水は褥瘡部位の洗浄に処方できますか?」

 

とありました。

 

思い浮かんだこと

 

『褥瘡の処置ということか。。。』

 

『そもそも今褥瘡の洗浄に生食使うのか?』

 

『最近新たなルールでもできたのか?』

 

『褥瘡治療ガイドラインに変更でもあったのか?』

 

医療材料は基本的に治療の処置に使うか否かによって薬局においては調剤料(薬局における調剤報酬の点数の区分)が算定できるか否かが変わってきます。

 

注射剤などはそもそも院外処方できるものとできないものに区分されますが、院外処方できるもののうち、処置に使うのか否かでレセプト請求の仕方に違いが出てきます。

 

ここまでは考えすぎで問い合わせに対して必要なのは『適応があるかどうか』です。

 

在宅医療で処方できるかも重要ですが、先に『適応があるか』が最重要となります。

 

質問の生理食塩水には適応に『皮膚・創傷面・粘膜の洗浄』とあります。

 

つまりこれは院外処方できるのでおれば(生理食塩水は院外処方可能)、褥瘡の洗浄として使用できる事を意味し、『可能です』という答えになります。

 

知識があると回り道しないと答えに辿り着かないことはよくありますが、今回もそのような事例でしたので記事として残します。

 

困ったら添付文書に戻るは鉄則です。

 

とはいえ、薬局を頼りにして色々聞いてくれるのは有り難いことでもっと勉強しておかないとなと思い知らされました。